| 歴史資料が語るチベットの中国所属、国家 主権 |
| 中国のチベットに対する主権はあまりにも多くの証拠に支えられているため、これを主張する必要すらありませんでした。しかし、外国人が中国の歴史を知らないのをいいことに、真っ赤な嘘を言う人が現れています。ならば、真実を伝えてそれを撃退するしかありません。
【唐・宋】(618-1279)
チベットは中国の南西に位置しています。そこに住むチベット族の祖先は、内陸部の平原に住む漢民族との間に、キリスト教時代よりもずっと前から繋がりを持っていました。その後の長い年月を経て、チベット高原に点在していた多数の種族が現在のチベット族に統一されました。
7世紀の唐の時代、チベット族と漢族は王室の間で姻戚関係、盟約を結んで、政治的な友好関係を形成し、経済と文化の上でも密接に結びつき、最終的に統一国家をつくるための基盤を固めました。641年、唐の太宗の皇女、文成公主がチベットの吐蕃王朝ソンツェン・ガンポ王に嫁ぎました。ポタラ宮には今でも文成公主の塑像が奉られています。チョカン寺(大昭寺)の前の広場には双方が盟約を結んだことにちなんで、823年に建てられた「唐蕃会盟碑」が立っています。この碑には次のような碑文が刻まれています:
「舅甥二主が社稷が一つとなることについて商議し、大和の盟約を結んで永遠に変わらないことは神、人と共に証し、知るところであり、世世代代にわたり称賛させるものである」。
【元】(1271-1368)
13世紀の初頭、チンギス・ハーンは中国の北方地方にモンゴルの国を作りました。その勢力範囲は止まらない勢いで中国を侵食して行きました。1247年、チベットの宗教指導者サキャ・パンディタ・クンガ・ギェルツェンはチンギス・ハーンの孫ゴダン・ハーンと涼州(今日の武威、中国甘粛省)で会い、モンゴルへの承服を約束します。内容としては地図と国勢資料の上呈、捧げ物の献納、モンゴルが任命した官僚による統治の受け入れなどが含まれています。1629年に作成された「サキャ系譜」には、サキャ・パンディタがチベット各地にいる宗教と学問の指導者達宛の手紙が収録されています。手紙ではモンゴルへの忠誠を誓わせ、チベットのために定めた地方行政制度の受け入れを勧告しています。
1271年にモンゴル政権は国号を元に改め、更に1279年には中国全土を統一しました。遂に漢と唐に続いて、元は様々な地域と民族の大統一を実現し、中央政府を確立しました。チベットも直接中央政府管轄下の行政地域になりました。元の皇帝は「宣政院」(「拡張行政府」とでも訳せるか)を設置し、チベット地域の軍政両面の要務を直接管理させました。宣政院の役人は皇帝自ら選任し、その報告も直接皇帝のもとに送られました。宣政院のトップである院使は全国の行政を総攬する右丞相(宰相)が兼任するのが一般的でした。チベットの地方行政機関および官職の名称は中央政府が決めていました。チベット地域には、宣政院に属する地方の軍と政府機関「宣慰使司都元帥府」が置かれ、その下に13の万戸侯(1万戸を管轄)と多数の千戸侯(1千戸を管轄)がありました。チベットには中央政府の軍隊も駐屯していました。1290年ある地方長官が反乱を起こした際に、中央政府は軍隊を率いる親王をチベットに派遣し、反乱を平定させました。またチベットに大小の宿駅を設け、それらを結んで、チベットから大都(現在の北京)に至る交通網を確立しました。中央政府は国勢調査や賦役の徴集をも実施しました。中央政府の役人は交通網の維持に必要な賦役、食糧、家畜などの数も決定しました。チベットにおける国勢調査は1268年、1287年、1334年の計3回が実施され、これらはいずれも資料に詳細に記載されています。
【明】(1368-1644)
1368年、明は元に取って代わり、チベットに対する統治権も継承しました。明の太祖朱元璋が政権を確立して間もなく、チベットに使者を派遣しました。曰く「胡人竊據中華、冠履倒置。朕乃名將率眾悉平海內,臣民擁戴為天下主,唯爾吐蕃邦據西土,今中國一統,恐尚未聞,故茲詔示使者至吐蕃」(モンゴル人が中華を占拠し、正に本末倒置。朕は名将なり、民を率いて国を平定した。臣民は朕のことを天下の君主として擁護承服しているが、汝ら吐蕃が西土に居り、中国が統一されたことを未だに知らぬ恐れあり。故に使者を派遣して詔示せしめる次第。)
明の朝廷はチベット各地の宗教首領に「王」、「法王」、「灌頂国師」などの称号を与えました。ダライ・ラマとパンチェン・ラマは明の時代に興ったチベット伝統仏教のゲルクパに属します。明の朝廷の特別扱いで、一寺院の住職であった第三世ダライ・ラマは自身の朝廷への進貢が認められ、ドルツチャンの名称が送られました。
王位の継承は皇帝の許可が必要で、冊封の使者が派遣されてはじめて即位できる仕組みでした。明朝の法典によれば、冊封された宗教首領は毎年正月の朝廷祭典に使者を派遣するか、自ら北京に出向き、祝賀と進貢をしなければなりません。進貢の期間や上京できる人数、上京のルートおよび沿道各地による食料供給などについても、法典にはきめ細かい規定があります。
法律違反をしたチベット地方の役人は、中央政府によって懲罰されていました。
【清】(1644-1911)
清の時代、チベットに対する統治と管轄を更に強化しました。1653年と1713年に清の皇帝はそれぞれ第5世ダライ・ラマと第5世パンチェン・ラマに称号を与え、それ以降ダライ・ラマとパンチェン・ラマの正式な称号が確立され、チベットにおける政治および宗教的な地位も確立されました。
1719年、清政府はチベットに軍隊を派遣し、ラサに3年間も居座りしていたモンゴルのツンガ勢力を追い払い、行政制度の改革に着手しました。清の皇帝は西康地方の若い活仏を第7世ダライ・ラマにし、彼をチベットへ護送しました。同時に4人のチベット人役人を任命し、チベットの政治要務の処理に当たらせました。
1727年にはチベット駐在大臣を配置し、中央政府を代表してチベット地方行政の監督に当たらせました。チベットと近隣地方との境界も正式に確定しました。チベット行政機能を整備するため、清の朝廷は何度も整頓改革し、1793年に「欽定蔵内善後章程」を制定発布し、チベット地方行政制度を詳細に規定しました。この「金冊」に鋳造された29か条からなる「欽定蔵内善後章程」の主な趣旨は以下の通りです:
・清政府はダライ・ラマとパンチェン・ラマを含むすべての死亡した高階位のチベット活仏の転生を確認する権力を有する。
・転生児童が見つかった際に、その名前を籤に書き、中央政府が授けた金の壷に入れなければならない。
・駐在大臣は適当とされる高階位の活仏を召集し、金の壷から籤を引くことによって転生の信憑性を決定しなけらばならない。
・転生活仏の剃髪、法名、入門の導師、指導に当たる経師はすべて駐在大臣より朝廷に報告し、審査と許可を受けなければならない。
・新しいダライ・ラマとパンチェン・ラマの即位儀式には、中央政府から高官を派遣し、それを主宰する。
・駐在大臣は中央政府を代表して、ダライ・ラマとパンチェン・ラマと同等の身分で、チベットの要務の処理を主宰する。
【中華民国】(1911-1949)
1911年中国では革命が起こり、270年に及ぶ清朝の統治が倒され、中華民国が誕生しました。建国に際して、新しい国は漢族、満族、モンゴル族、回族(イスラム)、チベット族、およびその他の民族からなる統一国家であることが宣言されました。当時の五色国旗は五大民族の統一を表すものです。南京で開かれた暫定国会で公布された暫定憲法では、チベットは中華民国領土の一部と明確に規定しています。1912年北京政府は憲法と国会選挙法を公布しました。これらの法律にはチベット人が選挙に参加する方法や国会議員への当選権が規定されています。1927年に国民党政府が成立する際、および1931年に国民大会(国会)が開かれた際に、ダライ・ラマとパンチェン・ラマの何れも代表を派遣して参加しました。国民大会で成立した憲法の前文第1条に、チベットは中華民国領土の一部と明確に規定しています。1946年に開かれた国民大会にもチベット地方政府とパンチェン・ラマが代表を派遣して参加しました。
国民政府は蒙蔵事務局、蒙蔵委員会などを設置して、モンゴル族、チベット族など少数民族地区の行政を主管させました。1940年4月、国民政府はラサに蒙蔵委員会チベット弁事処を設け、チベットにおける中央政府の常設機構としました。ダライ・ラマとパンチェン・ラマは引き続き民国中央政府の承認を得て、政治上、宗教上の合法性を得ていました。現在の第14世ダライ・ラマ(本名ラムデンチェ)も民国政府主席の命令によって認定されました。
【中華人民共和国】(1949-現在)
1949年、中華人民共和国が成立しました。1951年5月23日、中央人民政府とチベット地方政府の代表は、チベットの平和解放に関する一連の問題について合意に達し、「チベット平和解放の方法に関する中央人民政府とチベット地方政府の取り決め」(「十七条取り決め」)が調印されました。1954年、ダライ・ラマとパンチェン・ラマは共に北京に赴いて中華人民共和国第1回全国人民代表大会に参加し、この会議でダライ・ラマは全人代常務委員会副委員長に、パンチェン・ラマは同常務委員会委員に選出されました。1959年の反乱平定後、中央人民政府はチベットで民主改革を進め、暗黒の封建農奴制を廃止し、百万に及ぶ農奴と奴隷は自由の身になり、もはや農奴主の個人の財産として売買、譲渡、交換、債務返済に使われることはなくなり、農奴主に労働を強いられることもなくなりました。1965年9月、チベット自治区が正式に成立しました。
下記オリジナル動画の画像を利用させていただきました。
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| Uploaded: May 14, 2008 at 2:21 pm |
| Author: khmgbm01 |
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